昭和40年代、私は熊谷というところに住んでいました。父親はセメント工場の運転手、高度成長期の真っ只中のため、ダムや原子炉の建設ラッシュ、日曜日も休みなし。朝は3時に出て夜8時に帰ってくるという生活でした。
航空自衛隊熊谷基地近くの社宅にいたので、夕方になると家の前を自衛隊員たちがぞろぞろと行進していき、私が見ていると手を振ってくれる隊員さんもいました。
さてどうやら今は「死語」になったらしいのですが、熊谷基地正門周辺地域を「キャンプ前」と呼んでいました。由来は分かりませんが、私の勝手な解釈で終戦直後の一時期、アメリカ陸軍の駐屯地があった名残かなと思ってます。実際住んでいた社宅も米軍払い下げの兵舎を改修しただけで、バス・トイレも1ユニットというビジネスホテルのような作りでした。
社宅周辺には店もなく、「キャンプ前」に行かないと買い物ができませんでした。アイスやお菓子を買うにしても正門前のたばこ屋さんまで行かないと買えませんでした。そのたばこ屋さんも今はなくなり、コンビニエンス・ストアとなりましたが、果たして同じ家族が経営しているのかな?
八百屋さんや魚屋さんは、自動車で売りに来たり、御用聞きのおじさんお兄さんも元気で、母がいないときにくると私はすまして「お兄ちゃん、チョコレート持ってきて」と注文しては食べていました。
それでも肉類だけは出かけないと買えず、「桜井精肉店」で買っていました。お店に入るとラードの香りがしてきて、コロッケやメンチカツハムカツやらウインナーフライがおいてあり、コロッケをおやつ代わりに買ってもらう。あれから何十年も経っただろうか。コロッケを何十回も食べているが「桜井精肉店」のコロッケの味に勝てるものはなかった。これからも出てこないと思う。何年か前「ぼだい樹」のヘルパーさんに買ってきてもらいましたが、「あの味」変わっていませんでした。
昭和40年代といえば、ウルトラマンとサンダーバード。サンダーバードのプラモなんて一時は、ガンプラと同じくらい人気でした。残念ながら「キャンプ前」には玩具屋さんや模型屋さんもなく、どういう訳か「水村時計店」で買っていました。買っても自分では作れないので、酔っぱらった父を捕まえたり、近所の兄ちゃんに作らせていました。
昭和50年代になると、BCLブームが巻き起こり、父がひいきにしていた「池田ラジオ」おそらく今の「池田デンキ」短波ラジオを買ってもらって、毎晩聞いていました。父と「池田ラジオ」の社長、なんか仲良かった。
そんなこんなで「キャンプ前」の思い出。私は生まれも本籍も秩父なのですが、故郷といえば幼年期を過ごした熊谷市拾六間の方を思い出す。できれば人生最後のひとときは拾六間で過ごしたい。
あっ!もう一つだけ。「キャンプ前」とは熊谷市美土里町あたりでした。