はい、こちら加茂ちゃんで~す。

デジタル時代に生きる、アナログ人間の日々。

2008年08月

国立身体障害者リハビリテーションセンター病院の部長が汚職で逮捕されたと言うが、厚生労働省のお役人様という人種は、何を考えているのかあきれてしまっている。障害者自立支援法というとんでもない法律を作り、障害者の生活を最低水準に引き下げておいて、自分たちはその障害者を利用して、金儲けと天下りかい?
厚生労働省なんていう、戦争時に作った古い省庁なんてとっとと解体して、保健医療省と社会保障省に分割してしまえ!

野田聖子ちゃん、靖国神社へ参拝?思想信条の自由だから、どうでもいいけれど。亀ちゃんと同じ年の「戦争を知らない世代」が参拝しても、わざとらしくて見てられませんでした。それより「消費者行政担当大臣」という肩書きなら、日航123便の追悼慰霊式に出席した方がいいと思うけれど。「航空運輸サービスの消費者」である乗客や「提供者」の乗員520人が犠牲になり、当時の日航は半官半民の特殊法人で、旧運輸省の天下り先。国の責任もかなりある。
この事故でさえ「歴史」になってしまうほど時間が経ち、若い世代は自分たちが「終戦記念日」に感じる感覚と同じように感じてきている。自分たちの世代しか伝えられないことはたくさんある。それが自分たちの世代で大臣となった聖子ちゃんの仕事だと思う。

その日は空も青く暑い日。郵便局の駐車場で何気なく山を見ていると、ヘリコプターが一機、鈍い音で飛んでいた。その鈍い音が夏のけだるさを助長していた。
今の施設に来て初めてのお盆帰省。久しぶりにテレビをゆっくり見ようと、両親と夕食を早く済ませ、お茶の間で横になり、「NHKスペシャル」なんてあまり見たこともないような番組を見ていた。歴史のような内容だったが、結構面白かった。が、突然画面の上に「ニュース速報」が表示され、「羽田発大阪行き日航機、行方不明」という字幕が立て続けに流れ始めた。どういうわけか私はあわてて寝ていた両親をたたき起こして、一緒に見始めた。
「NHKスペシャル」はもはや、続行不可能となり中断。木村太郎さんがいつもより早く登場してきて、乗客名簿や123便についての情報を流し始めた。この時点でもまだ「行方不明」のまま。どうして?と考えているうちに次の情報が飛び込んできた。
「緊急着陸に備えて、羽田空港、名古屋空港および米軍横田基地で待機中」と伝わったとたん、父親があわて始めた。「おい、横田基地で準備って、うちの近くだよ」と玄関から飛び出し、西の山の方を見てみるとなにやら「白い煙」がたなびいている。「母ちゃん、110番しろ」というと、母親は少し間を置き電話をかけ始めた。
程なくすると駐在さんがやってきて、いろいろ話を始めた。買ったばかりの無線機で警察無線をそっと聞いてみると、通報内容は一応伝わったらしいが、方向が違うようだ。
22時頃になると、消防車のサイレンがあちらこちらで鳴り始め、家の前を猛スピードで走り抜け、警視庁のヘリコプター「おおとり」まで近くに飛んできた。
「すごいことになった」なんて思っても、肝心な墜落現場の情報は、入ってこなかった。
結局分かったのは翌日のニュース。朝9時頃になると、家の前を今度はテレビ局の中継車が、何台も通り過ぎていく。かくして「日航ジャンボ機墜落事故」というまれに見る事故は「御巣鷹山」(正確には高天原山)で起きた。
あとはテレビの特集におまかせするとして、驚いたのは父親の方向感覚。カーナビのない時代の運転手だけに道や方向を身体で覚えているらしく、酔っぱらっていても車に乗せておくと、母親に運転させておいてナビゲーターだけで目的地まで行ってしまう。それ故に「横田基地も待機」と聞いた瞬間に「家の近く」と予測したのか、今でも感心してしまう。
ああ、もう一つだけ。中継車の列が通り過ぎたあとの11時頃、家の前で大きな音。「また何が!」と思ったら、ガードレールに車がぶつかっていた。話を聞けば徹夜で「墜落現場」を探しに行って、居眠り運転をしたただの野次馬。この不謹慎な奴め。生命に別状もなく物損事故だから、良かったものの、人身事故なら大変だった。

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